登校初日
優姫が月の寮に入寮してから3日。
普通科との合同行事【親睦の夕べ】も無事に終わり(枢と優姫、星煉は不参加)
今日から授業が始まる。
夕刻。
ヴァンパイア達が、それぞれの場所で目を醒ます刻限。
「優姫、優姫…」
優しく名前を呼ばれ、軽く身体を揺すられ優姫は微睡みから覚醒する。
起きてすぐ視界に入って来たのは、兄でもあり婚約者でもある枢の姿。
「おはよう、優姫。起きれる?もうすぐ登校時間だよ」
「……登校?……あ、はい!おにいさま、おはようございます。
す、すぐに支度して参りますっ」
寝起き故に思考が思うように働かなかった優姫だったが
登校時間≠ニ言う言葉にハッとしてベッドから飛び降り慌てて着替えに行く。
余りの早さに枢は、呆然とするばかり。
ただ、優姫におはようのキスをしようとして出来なかった枢の右手が
虚しく宙から本来あるべき場所に戻る。
無論、慌てて出ていった優姫は、その事に気づきもしないが。
枢は仕方ないか…と呟くと自身もまた支度を始めた。
しかし先に枢が着替え終わっても一向に出てこない優姫を心配して、声をかければ…
「優姫?どうしたんだい?」
「うっ…か、枢おにいさまぁ…」
涙声が部屋から聞こえて、心配になり枢は優姫の部屋のドアを開けば、
途端に抱きついてくる優姫を抱きとめた。
手に夜間部の制服を持ったままの優姫を見て、
何故涙声なのか分かった枢は優姫の手をとると
「ごめんね、優姫。着方、言って無かったね…」
と、髪を優しく梳きながら安心させるように微笑む。
そう。優姫が学校に行くのは今日が初めて。
人間の子のように、初等部や中等部なんて行った事のない優姫は
本来なら着れて当然の制服も当然ながら着方が分かるはずもない。
結果、助けを求めたのは大好きなおにいさま。
「今日は僕と一緒に着ようか」
「ごめんなさい…おにいさま」
「大丈夫だよ。すぐに着れるようになるからね」
「うん…」
もちろん、優姫が駄々をこねて『ずっと着させて?』と言ってくれれば、
僕は喜んで優姫の制服を毎夕着せてあげるけど、一人で着れないと問題も有るだろうしね。
何より、駄々をこねるような子じゃないから…。
枢としては、優姫にもっと甘えて欲しいと思う。
*****
身支度を整え、授業道具を抱えて優姫の手を引きながらロビーに降りれば、
既に夜間部の生徒達は全員集まっていた。
純血種二人の姿を見ると、口々に挨拶の言葉をし、軽く頭を下げる。
「おはようございます。枢様、優姫様」
「優姫ちゃん、おはよう〜。あ、枢もおはよう…」
「おはよう、皆…」
と、笑顔で答える優姫の傍らでは枢が拓麻に不機嫌な表情を醸し出していた。
「一条…僕にはとってつけた挨拶かい?」
「やだな〜。き、気のせいだよ」
「そう…」
枢は短く返すと、それ以上追及するつもりが無いのか優姫に視線をやり、
「優姫…そろそろ行こうか。……僕の傍から離れないでね、危ないから」
「え…おにいさま?」
疑問に思う優姫だったが、門が開く時間が迫っているため枢の隣に並び歩き出す。
寮の入り口を出て、月の寮の門へ近付いて行くと、徐々に大きくなる声に気付く。
もしかして、おにいさまが言っていた危ないはコレ?と思っていれば、
時間になったのか月の寮の門が開門する。
そして…―――
「きゃあああ!」
と、普通科の主に女子生徒達の黄色い声。
放っておけば、こちらに駆けてきそうな勢いの彼女達に優姫はビクッとなる。
そんな優姫に気付いた、すぐ隣を歩く枢は
「大丈夫だよ、優姫」と声をかけながらも、完全に大丈夫とは言い切れないのか、
やや早足で優姫や他の夜間部の生徒達を引き連れ校舎に向かう。
*****
教室についた優姫は、枢に導かれるまま彼の隣の席に腰を下ろす。
近くには、拓麻や藍堂、架院、瑠佳、支葵、莉磨と言った
優姫も知っている仲の良い者達が座ったので、ホッと安堵したのは言うまでもない。
「おにいさま…あの普通科の人達は、いつもああなの?」
「うん…そうだよ」
「そう…ですか」
騒ぎを初めて見た優姫は勢いが余りにも怖くて、
出来れば何とかならないかなと思っていた。
その横で瑠佳が「品のない人達だわ。まったく…」
と、普通科の生徒達のことをあからさまに嫌そうな顔をして言う。
「おにいさま?」
「優姫は心配しないで。何とかするよう理事長に言ってみるから」
「はい…」
そして、翌夕の校舎入れ替えの時間、昨日同様に普通科の生徒達が騒ぐ姿はあったものの、
その普通科の生徒達の数歩前に、腕に腕章を嵌めた風紀委員
―――錐生零の姿があり、これが理事長の言った対策か?と枢は顔を若干歪ませた。
また、枢の妹である優姫の存在は普通科の生徒達の間に瞬く間に広がり、
枢同様…いやそれ以上かもしれない人気と
密かに出来た優姫ファンクラブの存在を枢が知るや否や
何とも言えない複雑な顔をしていたのは拓麻と星煉だけが知っていること。
当の優姫はと言うと、
最初は怯えていたものの、自分達に害をなす者達では無いと分かった途端、
普通科の生徒達に対する恐怖心は消えていき、
実に楽しい学園生活が始まりを迎えたことを喜んでいた。
近くで見守っていた夜間部の生徒達は、実に対称的とも言える
玖蘭兄妹の姿を見比べつつも、枢から発せられる極寒の吹雪に真っ青。
暫く枢とは顔をあわせないよう、機嫌をこれ以上損ね逆鱗に触れないようにしようと固く誓う。
優姫だけは、極寒の吹雪の存在は知りつつも
己が兄である枢から発せられるモノだとは気付かずに…
「春なのに何で寒いのかしら、ね…おにいさま?」と可愛く首を傾げていた。
枢にしても優姫に言うつもりはなく、
「どうしてだろうね…?」と、知らぬフリを通すものだから、
知らない方が幸せとは、まさにその通りだと実感した夜間部の生徒たちでした。