月の寮

ギィィ…
音をたて、月の寮の扉が触ってもないと言うのに一人勝手に開く。
が、ヴァンパイアとして生きてきた優姫にとっては慣れた事で気にした風もなく、
枢に手を引かれながら寮の中へ足を踏み入れる。

『お待ちしておりました、優姫様』

そこには、純血種の気配を察してか夜間部の生徒達が純血種に対する礼を……
膝をつき頭を垂れていた。
唯一、膝をついてないのは枢の友人である拓麻くらいだろう。

「おにいさま…」

戸惑い、さ迷った優姫の視線が、不安げに兄である枢を見上げる。
そんな優姫を安心させるかのように頭を優しく撫でた。

「大丈夫だよ、優姫。皆も頭を上げてくれないかな」

そう枢が言うと夜間部の生徒達は不本意ながらも
純血の君からの言葉であるが故に頭を上げる。

「この子は皆も知っていると思うけど、玖蘭の姫であり僕の婚約者だ…。優姫」
「はい、おにいさま……初めまして、玖蘭優姫です。
これから宜しくお願いします、皆さん」
「優姫と仲良くしてあげて」
『畏まりました。枢様、優姫様』
と、再び頭を垂れる夜間部の生徒達。

「優姫様、お久しぶりです」
「瑠佳!皆も元気そうね」
「はい、優姫様。皆、優姫様に再びお会いできる日を楽しみにしておりました」

あれから各々部屋に戻って行き、
残ったのは拓麻をはじめとする枢の懐刀――側近たち。

「藍堂さん…昨日はしゃぎ過ぎて煩かった」
「なにぉ〜支葵!」
「おい…英」
「クスッ…あ、おにいさま私の部屋は何処になるの?」
「そうだね…案内するよ。おいで、優姫。皆もありがとう。
此処からは僕が優姫を案内するから部屋に戻っていいよ。ああ、一条も話があるから来て」
「わ、分かったよ…枢」
「では、枢様…優姫様。我々は此処で失礼します」

軽く礼を取り、辞する藍堂達を見送ると
枢は優姫と拓麻を引き連れ寮の中を歩き出す。
月の寮のロビーから少し離れた位置にある階段をのぼって少し歩くと
とある通路で枢が足を止めたので優姫等も倣い足を止める。

「おにいさま?」
「優姫、ここを境に男子寮と女子寮とに別れているんだ。
あちら側が女子寮で瑠佳や星煉、莉磨達がいる」
「じゃあ…こっちは…」
「男子寮だよ。枢や僕と支葵、それに藍堂と架院達の部屋が有るんだよ」
と、拓麻は枢の代わりに優姫の問いに答える。
そう返され、優姫は納得したのか頷く。

「それで、優姫は僕と一緒の部屋だよ」
「え…あ、あの…おにいさま?」
「何?」
「おにいさまのお部屋は男子寮に有るんですよね?わ、私は……」

慌てて女子寮にある部屋にして下さいと言う優姫に枢は振り向き、
彼女の頬に手を添えながら口を開く。
拓麻はと言えば、この状態の枢に口出しすればどうなるか分かっているが故に、
黙って成り行きを見守っている始末。

「優姫は知らないと思うんだけど婚約者同士はね同じ部屋になる決まりなんだ」
「え?そうなんですか…?だったらおにいさまと同じ部屋で良いです」
「分かってくれて嬉しいよ、優姫」

黙って様子を見ていた拓麻は枢の口から出たあからさまな嘘に
「その決まりいつ作られたの?ってか、そんな決まり有るわけ無いよ」
と心の中で全力否定。

「なに?一条」
「へ?いや、何もないよ、枢。ほ、ほら優姫ちゃん案内しなきゃ!」
「そうだね…じゃあ、行こうか」
と、歩き出す枢に拓麻は冷や汗を流しながら乾いた笑みを浮かべた。

本当の事を優姫に言ってやりたいものの、言ったら最後枢の機嫌は急下降し
藍堂ほどでは無いにしろ何らかの罰を受けるのは目に見えて明らか。
それを想像して恐ろしくなった拓麻は、この件はもう考えない事にしたのだった。


*****


両側の扉を開き、優姫が通されたのは、月の寮で一番広い寮長の――枢の部屋。

「わぁ…おにいさま!この部屋、使っていいの?」

そして優姫の部屋と言って通されたのは
寮長室の今まで空き部屋になっていた部屋で。
明け方に拓麻が見た時は、何も無かった部屋だったはずだが、
いつの間に整えたの?と言わんばかりにその部屋はピンクとホワイトを基調とした
女の子らしい部屋に様変わりしていた。

ご丁寧に玖蘭の屋敷の優姫の部屋にあるぬいぐるみに似た
大中小様々なぬいぐるみが置かれていたりもする。

「うん。ここは優姫の部屋だから自由に使って。服はクローゼットの中だよ。
ああ…寝室はこっち」
と、手を引かれ連れて行かれたのは
枢が今まで一人で使っていた寝室。
中央に大きなベッドがあるくらいで、他には殆ど物が置いてない
生活感がなく殺風景としか言い様のない。

「えっと…おにいさま?」
「小さい頃、一緒に寝ただろう?それに僕と優姫は許嫁同士だよ。問題ないだろう。
バスルームは、この寝室を通らなきゃ行けないから優姫も近い方が良いよね?」
と言われれば、そう言うものかと優姫は頷く。

後ろの方では間違った認識を優姫に植え付けている枢に意見しようにも後が怖い。
だが、友人として見過ごせない…ああ、僕はどうすれば!と一人葛藤する拓麻がいた。

後日、理事長から…優姫の耳に
婚約者同士は同じ部屋にならなければならない≠ニ言う決まりなんて無いと聞かされ、
やっぱり女子寮にと言う優姫を何とか言いくるめる枢と、
その枢から漂う黒いオーラにビビる哀れな夜間部の生徒達の姿があったと言うのは別のはなし。